2015/07/10
小さいころからそれが当たり前だと思っていたけど、
大人になってよくよく考えてみるとそんな
意味があったのね!と気づかされる。
皆さんもこんな経験をされたことはございませんか?
長野県民ならば誰でも知っている
「八十二銀行」
小学校への通学路にあったり、
初めて作った口座も八十二銀行でした。
ほんとに小さいころから慣れ親しんでいて
銀行と言えば「はちじゅーにぎんこう」
といった感じで。
先日青山に行った際、
こんな看板を目にしました。(そして即座に撮影。笑)
そうそうこのマーク!懐かしい。
しかし、ふと思いました。
なぜ82なのか?
私が小さいころに聞いた都市伝説的な話がありました。
数字の銀行と数字の銀行が合併してそれを足した数が82だという説。
今回調べたところほんとだったみたいです。
八十二銀行の原点は、明治10(1877)年の第十九国立銀行、明治11(1878)年の第六十三国立銀行の創立までさかのぼることができます。
いずれの銀行も、それまで県内の金融に深く携わっていた小野組の破綻以降、混乱していた県内経済の回復と民生の安定化のため設立されました。
両行とも繭や生糸を担保に製糸資金を貸し付ける「製糸金融」や、荷主が生糸を横浜の問屋へ出荷する際に組んだ荷為替を割引く「荷為替取引」に力を入れ、明治・大正期における信州の製糸業、ひいては日本の輸出産業を支え発展させる原動力となりました
第一次大戦後の慢性的な不況による生糸相場の暴落と、関東大震災により衰弱した経済に追打ちをかけたのが、昭和4(1929)年に発生した世界恐慌でした。そして、当時、県内の最大銀行であった信濃銀行の倒産などにより、長野県は「全国一の不況県」と言われるまでになりました。
そうした状況のなか、
第十九銀行と六十三銀行の両行は合併し、昭和6(1931)年8月1日、八十二銀行が誕生しました。
そう、19+63=82だったのです。笑
なるほど!!
全国にも数字の付いた銀行がほかにもあるみたいですね。
へぇー。笑
ぎり