2018/08/22
エンゴロ・カンテ。
おはようございます みなさま。
テニスをたのしんでいらっしゃいますか?
松屋の「ごろごろチキンのトマトカレー」を毎日でも食べたい フロント児玉維賢です。
おいしいですよ!
わたしのカレー愛についてはこちら → https://viptop.jp/yokohama-blog/2018/05/27/961/#more-961
まじ、定番商品化してほしい。。
さて本日のブログは、先日幕を閉じたロシアワールドカップの優勝国フランスの選手、エンゴロ・カンテになりたいという話。
ちょっと何言っているか分からないですという声が聞こえてきそうなので、少々その気持ちに至る道筋を…。
あと、見直してみたらいつもに増して文章が長い!
サッカーに興味のない方はどうぞお閉じください。
フランスって、1998年のワールドカップを優勝して、このロシアでは二回目の優勝だったんです。
1998年は、ご存知の方も多いであろうジレディーヌ・ジダンが中心にいて、まあその周りの選手もアンリだトレセゲだ、がまだ若くて、ヴィエラだピレスだと、あれアーセナルの人多くないみたいな、すごかったなあという感じなのですが。
そのあとくらいから、マケレレっていう中盤の守備的な選手が出てきてですね。
その選手が、レアルマドリードやチェルシーといった世界有数のクラブで超いい仕事をするわけです。
点を取る選手ではなく、相手の攻めを予測し、ここにきたらやべえ!というところには必ずといっていいほど顔を出し、さっとボールを奪うとすぐにいいところへボールをつける。
フランス代表としてはタイトルを獲っていませんが、どこでもチーム内で「マケレレがMVPだ」と称される、すばらしい選手でした。
実際、マドリードはマケレレの移籍後に失点が急増、しばらく低迷しています。
そして、今回のフランスで中盤の底で危険予測をし、ピンチを未然に防ぎ続けたのがエンゴロ・カンテ!
エムバペやグリエズマンが攻撃を担う中、カンテは相手の攻撃の出所をおさえ続けていました。
決勝戦ではまさかの途中交代をして、一緒に観ていた相模大野の田頭ヘッドコーチと「こりゃあどう出るか」と言い合いましたが、結果がすべてということでしょう もしあれでフランスの守備が崩壊していたら監督のデシャン(1998年優勝メンバー)は非常に厳しいことを言われていただろうとおもいます。
カンテは今はまるでマケレレのようにチェルシーにいますが、日本代表の岡崎選手がレスターというチームで優勝した時、中盤の底には彼がいました。
カンテの抜けた穴はなかなか埋められないようです。
なにせ、地球の70%は海でできていて、残りの30%はカンテがカバーしているというジョークが出回るんですから。
豊富な運動量、みたいなことが言われるわけですが、とてもスマートな頭の持ち主でないとああいうプレーはできません。
いまボールのある位置、そこからここにボールがきたら、こっちにパスを出されてまずいことになりそうだということを、プレーしながらもどこか俯瞰しているような印象です。
いくら走っても、ポジションが悪ければあれだけのカバーは不可能。
元日本代表監督、オシム監督がいうところの「水を運ぶ選手」。
その最高峰に、エンゴロ・カンテがいます。
ビッグクラブ移籍後も大衆車に乗って、「練習をして、試合をして、家に帰ることに変わりはない」と言い、母国にはすっと寄付をする超一流サッカープレイヤー。
そんなカンテに、わたしもなりたい。
というのが、今回いいたいことでした。
最後までお読みくださった方、ありがとうございます!
今日の一枚:ゆうやけ