2020/04/19
私にとってのテニスは
「テニスをすることが夢でした。」
皆が色々書いていたので、頑張って英語にしました(笑)
大げさに書きましたがノンフィクションです(笑)
皆さん長文ですよ!児玉さんや片桐さんみたいに文章得意ではないですが長文ですよ!ご注意下さい・・・。
最初にテニスを始めたのは小学校2年の春でした。
当時はまだまだマイナースポーツでした。
近くの体育館でやっているテニススクールに入りました。
体育館にコートを2面作って10人~15人位が毎週土曜日に19時~21時迄練習していました。
体育館はボールのバウンドも速くまともにラリーは繋がらないので、ほとんどの子はコーチからのボール出し練習でラリーができる子(4人位)が隣でラリー練習ができるような環境でした。
今のスクールの環境はとても良いですね!
とにかく毎週土曜日が楽しみで仕方がなかったです。
私がテニスで抱いた最初の夢は「テニスのプロになる!」でした。※野球も好きでした。
小さい頃から身体を動かすことが好きで、毎日勉強もせずにランドセルを玄関に投げて外遊びに夢中なタイプでした笑
ビックリしますね(笑)これテレホンカードですよ(笑)
なので運動をすることに関しては一番になれないまでも、それなりに負けない自信を持ってたように思います。⇒ただ自信過剰だっただけな気もします(笑)
そんな毎週の様に楽しんでいたテニスを奪われる病気と出会いました。
【急性リンパ性白血病気】です。
小学3年生から6年生になる頃迄はたしかテニスはできませんでした。
テニスどころか小学校も3年生は全部授業も受けることができませんでした。
自分にとっては、テニスも学校も奪われている時間という意味では今の子供たちと同じかもしれません。
新潟市の大きい病院に転院した時は、カレンダーのテニスがある土曜日を数えて「こんなにテニスができないの?」と母親に言ったことを今でも覚えています。
この時期は家族や医療関係者の方々にも散々ワガママも聞いてもらって、沢山の人に応援されたことが励みになりました。
何より元気になってテニスすることしか考えていませんでした。
この頃の自分の夢が
「テニスをする!」!ことでした。
病院から退院してから、テニスがしたいと当然のように親に伝えましたが、中々テニス復帰はさせてもらえませんでした。
しかし反対を押しきって、退院後初めてテニスをした時にはショートラリーしながらクラクラしたことも覚えています笑
→親には内緒にしてました笑
家族や周囲のサポートもありテニスを再開することができて一つ夢が叶いました!
当時の写真を掃除しながら探しましたが中々なくて・・・。
地元のイベントで当時のテニスプロ選手 金 奉洙(キムボンス)選手と取った写真です。
当時は西武ライオンズが好きでした。→誕生日が一緒という理由で清原選手が大好きで、入院中もTVを見ている時に何故か良くホームランを打ってくれて自分を励ましてくれている様に勝手に感じてました。
このイベントの日から清原選手と合わせて私の二大ヒーローでした。(単純)
中学では軟式をやりながら硬式テニスを頑張りました。
そして中学の終わり頃から高校に入る頃にテニス迷走期に入ります。
迷走感はこれで伝わりますね(笑)
これは体育祭限定です。スーパー〇イヤ人になりたかったみたいです。
これが通常時です(笑) ※高校の皆、許可もらってないけど許して。
最初の写真のインパクト強すぎますが真面目にはやっていました・・・つもりです。
頑張ってなかったわけではないですが、今振り返るともっと頑張れたかな?って期間です。
そしてテニスの夢も「プロになりたい」から「コーチになりたい」と変わっていきました。現実的に夢も変化してきました。⇒コーチを甘く見てますね・・・。
高校の頃は中学から硬式をやっていたこともあったので、それなりに自信がありましたが、冬場のトレーニングをサボって3年の春の大会で第2シードなのに初戦負けをする経験をさせてもらいました(笑)⇒ある意味で努力は裏切らないことを知りました。
シングルスが弱すぎてダブルスに集中したこともあり、ここから先のテニス人生ではシングルスをほとんどやっていません。
主将もしていたので部をまとめようと考えて中々上手くいかず、悩んでテニスを辞めようとした時期もありましたが、辞めなくて本当に良かったです。
そして高校卒業後、新潟市(自宅からは60キロほど離れている)にあるテニスの専門学校に入学します。
オープン大会に出場するために下道のみで8時間かけて石川県に行ってみたり、専門学校でしかできない経験を沢山させてもらいました。
2年生の時には全国専門大会のダブルスで優勝できました。(第2回大会でしたので、片桐コーチの時よりも更にレベルは全然だったはずです。)
本戦の1回戦・・・。この大会のシングルス優勝者と準優勝者がペアの相手でした。
0-3で負けている時に福島出身の自分のペア(右側のラケット食べている彼)が「タケちゃんロブでもあげっぺか?」と言った言葉以外はほとんど覚えていません(笑)ゾーンに入っていたと思うことにしています。
この時期に全国専門大会で佐々木コーチとも出会います。専門学校から硬式テニスを始めたとは信じられない程テニスもレッスンも上手かったです。
そして自分は厳しい環境でないと頑張れないと思っていましたので、日本で有名なスクールに就職したいと思い、身の程を知らずVIPTOPへの就職を目指します・・・。
文章苦手なので読みにくかったかと思いますが、お付き合いいただきありがとうございました。
ジュニアの皆さんも不安でストレスの多い時期だと思いますが、私からは伝えたいのは健康でいること・・・。
そうすれば必ず学校に行けるしテニスが出来る日が来ます。
自宅でできること、スクールに来れなくてもできることを一緒に頑張りましょう!
冬場にトレーニングをさぼったコーチみたいにならないようにね(笑)
スクール再開後は皆さんと元気にお会いしたいので、毎日少しのトレーニングと晴れている日は娘とランニングをしてます。
体を動かすことは体の健康だけでなく、心の健康ためにも大事ですね。私も普段動いているので、そのように感じます。
レッスン再開の時まで皆さんも色々STAY頑張りましょう!