2020/04/12

by 『テニスと私』  木田編

再び美文字の本を買おうか悩んでいる木田です!

 

私のテニスの始まりは15年前に遡ります。

小学4年生の夏にテニスを始めました。

当時僕はスポーツを何もしておらず、ゲームばかりしている少年でした。

お母さんに「新しくテニススクールが出来るから行って来い」と言われたのが始まりでした。

テニスならラケットも大きいし野球よりボールが当たるだろうと思いながら始めました。

実際、空振りをした記憶はほとんどありません。

しかし、ボールがコートの中に入らず、いつもホームランをしていた記憶はしっかり残っています。

小学生の頃はひたすら天井に向かってボールを打つことが楽しくてしょうがなかったです。

あとは他の小学校の友達がたくさん出来ました。

まだテニスはマイナーのスポーツだったので同じ小学校にテニスをしている人は10人もいなかったです。

中学ではソフトテニス部に入部しました。スクールに通っていた私は他の人よりもテニスの経験があったので、

すぐに上級生の練習に混ぜてもらいました。ソフトテニスと硬式テニスは全然違い、

特にバックハンドストロークは全然打てませんでした。サーブやボレーも握り方が違うのですべてリセットされました。

ただなかなか試合では勝つことはできなかったです。メンタルが誰よりも弱く試合では全くラケットを振ることが出来ませんでした。

今となってはこんな僕でも試合で使ってくれた先生に感謝しています。

高校では再び硬式テニスに戻りました。しかし、顧問の先生は全くテニスを知らない人でした。

所謂、弱小校というものです。先輩方も中学までは違う部活だった方々が多く、全員が我流で練習していました。

あの頃が一番スマッシュやテニスクラッシックを購入していました。(テニス雑誌)

この時に僕のフォアハンドストロークのグリップは厚くなっていきました。

一回クセづくとなかなか直すことが出来ず今ままできています。

高校の時に通っていたスクールのコーチにも言われ続けていましたが、全然ダメでした。

今では薄いグリップでも打てるので両者の方の気持ちが分かるので良かったです。

 

通常はこれぐらいのグリップです↓

私のグリップはこれです。↓

フルウエスタングリップと呼ばれるグリップです↓

プロでは錦織選手がフルウエスタングリップです!(錦織選手は私よりフルウエスタングリップで握っています)

ぜひ、動画などで錦織選手のグリップ打ち方を見てみて下さい!

 

 

 

大分県には圧倒的に大分舞鶴高校が強くもう何十年も連続でインターハイに行っています。インターハイでも

ベスト4などに入っていました。

私たち弱小校は強い高校に必ず序盤で当たってしまうため、すぐに敗けてしまいます。

当時はもうやる気をなくしてしまうぐらいの差で絶望しかしていませんでした。

今では全国ベスト4のチームと戦えていたと思うととても良い経験させてもらっていたのだと思います。

 

 

大学では福岡の北九州にある九州共立大学に進学しました。(プロ野球の大瀬良選手や馬場選手出身)

スポーツ大学だったので各競技の全国トップ選手が集まっていました。

テニス部も九州では3位の実績でした。

勿論、上級生も同級生も全国経験者がいて、自分の居場所は全くなかったです。

引退するまで、ずっと一番下のコートにいました。

個人の成績でも九州学生の予選決勝でいつも負けてしまい、本戦に上がる事は出来ませんでした。

試合の成績では結果は出ていませんでしたが、実力自体は自分でも成長がわかるぐらい、4年間で成長しました。

例えば、他県のインターハイに出ている高校生に勝ったり、その辺の大学の選手には負けないようになっていました。

卒業する前には同じ大学のレギュラーだった同期全員に勝つことが出来ました。

私の4年間の集大成が実ってとても嬉しかったです。

 

ここまでざっと私のテニス人生を書かせてもらいましたが、一番自分の財産となったものはテニスの実力ではないです。

一番の財産になったのは人との繋がりです。小学生から現在までテニスのおかげでたくさんの方と出会う事が出来ました。

他校の友人、部の仲間、コーチ、アルバイト先のコーチ、そして当スクールに通っていただいている皆様、

これまで出会ってきた人達が欠けていたら今の私はありません。

今コロナの影響でテニスが出来ない状況ですが、明けない夜はありません。

テニスが出来ず、ストレスも溜まってしまうかもしれませんが今は我慢の時です。

私は過去の自分のテニスの試合を観たり、テニスの動画を見て充電しています。

では、皆様お身体には気を付けてお過ごしください。

皆様と再びテニスが出来るのを楽しみにしております。