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これまでの日本サッカーは、技術を細分化し、一つひとつの技術を年代ごとに積み重ねるという練習を行ってきました。
技術・戦術・体力・精神力・攻撃・守備・パス・トラップ・ドリブル・シュート・フェイントなどのテーマに分け、各年代にフィットしたトレーニング課題を設定し、トレーニングの負荷を上げていくといったやり方です。
しかし、結果的は、技術を細切れにし、段階分けをして、順序よく行ってきた技術練習は、いざ試合となったときに、統合されず、対戦相手や味方の位置、試合環境などあらゆる場面の違いによりそのポテンシャルを発揮できなかったのです。
このような分割された局所的なトレーニングにおいては、サッカーの構成要素は向上しても、必ずしもサッカーそのもののレベルアップには繋がっていきません。
実際、海外の指導者からは「日本人はテクニックやスピードはあるがサッカーは下手」と言われることも関係者の中ではよく耳にする話の一つになっていました。
あまりに細部にこだわって、サッカーの本質から遠ざかったトレーニングばかりしていてはサッカーは上手になりません。
サッカーの本質は何かということを理解し、自分のものにしていくことで「練習では上手なのに、試合ではなかなか力が発揮できない」といった自分から卒業することができるのです。
LIV.FCは、1997年の発足より、日本人の体格に良く似たスペイン人のサッカーに注目。
そのスペインのサッカー界で今注目を浴びているのが「戦術的ピリオダイゼーション理論」です。
ポルトガル人のヴィトル・フラーデ教授が発案したサッカー専門の理論で、躍進を続けるレアル・マドリード監督のジョゼ・モウリーニョがその理論を採用しているということで、徐々に有名になりました。
今後ヨーロッパサッカーのスタンダードになるトレーニング理論といわれており、サッカー関係者に大きな影響を与えている理論です。
戦術的ピリオダイゼーション理論に基づくトレーニングメソッドは実践的で分かりやすい。
LIV.FCでも、戦略的ピリオダイゼーション理論をリスペクトし、その多くを指導に導入しています。
子どもたちの活き活きとしたプレーと上達ぶりから同理論の素晴らしさを実感しています。
それでは、戦術的ピリオダイゼーション理論ではサッカーの本質をどう捉えているのでしょうか。
同理論の最大の特徴は“サッカーの本質”を理論的に定義づけてみせた点にあります。
「サッカーとは何か?」という哲学的なテーマについて同理論では「サッカーはカオスであり、フラクタルである」と“サッカーの本質”を定義づけました。
“カオス”とは一般的には「混沌とした」という意味で使われていますが、サイエンスの世界では「わずかな初期設定の違いが事前の予測を大きく覆すような結果を生む複雑な事象」のことや「事象の細部は決定論的に予測可能だが、事象全体の過去や未来の動向を予想するにはある時点の無限の精度の情報が必要とされるため、観測による予想が不可能に近い事象」をいいます。
「ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか」という気象学者の表現はカオスのイメージを分かりやすく現わしています。
“フラクタル”とは図形の全体と一部分が相似関係(=自己相似)になっているものを指す幾何学的な概念を指します。
サッカーの試合では、あまりにも多くの構成要素が相互に影響を及ぼし合っている複雑な事象であるため、次の展開を予測することはできません。
それ故にサッカーの各構成要素(技術・戦術・体力・精神力・攻撃・守備・パス・トラップ・ドリブル・シュート・フェイントなど)の理解は必ずしも“サッカー”という全体の理解には繋がりません(≒カオス)。
一方、サッカーの試合の一部分を切り取った際に、その切り取った一部分が技術だけだったり体力だけだったりすることはありません。
サッカーの試合に含まれているすべての要素(技術・戦術・体力・精神力・攻撃・守備・パス・トラップ・ドリブル・シュート・フェイントなど)はサッカーの細部にもすべて含まれているのです(≒フラクタル)。
同理論では「複雑なものを複雑なまま理解する」ようにトレーニングする必要性があるとして、“大切な何か”を失わずにトレーニングすることの大切さを重要視し、「サッカーをサッカーのままトレーニングすること」「サッカーはサッカーすることによって上手くなること」としたのです。
戦術的ピリオダイゼーション理論では、「大切な“何か”を失わないために、複雑なものを複雑なまま理解する」としてサッカーを“生きたシステム”として生命論的アプローチを構築しようと試みました。
重要視したのはチームが目指す“プレーモデル”を明確にすること。
“プレーモデル”とはチームが目指している“プレーモデル”のことです。
同理論ではまたここでも“プレーモデル”自体が“カオス”だと考え、選手の好みや長所・短所もチームの“プレーモデル”の決定に影響を及ぼすことになるとしています。
さらにチームを取り巻く環境などのあらゆる要素も考慮した上でチームの“プレーモデル”を決定すべきとしています。
もちろん“プレーモデル”は生きたシステムであるため、時間の経過や内部・外部の要因の変化に伴い、適切なマイナーチェンジが必要としたのです。
チームの“プレーモデル”が決定したら、次に「“プレーモデル”を具現化させるために必要なチーム全体の戦術的な法則性≒コンセプト」を明確にします。
こうした“プレーモデル”とコンセプトが明確になり習慣化すれば“考えなくても身体が反応する状態”になっていきます。
習慣化された行動は無意識でコントロールが可能なので、他の動作と同時並列的に行動が可能になり、高いテクニックやクリエイティブなプレーが増えていくことに繋がります。
LIV.FCでは、こうした観点から日本ではタブーとされてきた低学年からの「戦術」指導を行ってきました。
チームとして動く「動き方=攻撃の仕方、守備の仕方、味方の使い方、スペースの使い方」を理解してサッカーを行うことが、子どもたちのサッカーの可能性を広げていくと考えてきたからなのです。
LIV.FCでは、こうした理論・考え方のもと、まずサッカー全体(試合)を経験させながら、並行して「素早く適切な状況判断」を養う場面づくりをし、サッカーを楽しむ「方法」を学んでいきます。 「テクニック」も必要ですし、「戦う気持ち(ファイティングスピリット)」も重要です。
蹴る・止める=「パスの強さ・正確さ」にもとことんこだわります。
試合の動き方も同じように重要です。すべてをバランスさせながらサッカーを行います。
目指すのは日本人らしい、タッチ数の少ない素早いパス交換による局面の打開、オープンスペースからゴールを果敢に攻めるチームコンセプト、ボールを相手に捕られない技術・ポゼッション、気迫のあるディフェンス、機を見た鋭いドリブル突破、全員の力を結集したシュート・・・。
子どもたちは、みんな天才です。
私たちは、子どもたちの潜在的な能力を引き出し、十分に発揮できる環境づくりが最も大切なものと考えているのです。
サッカーの試合では、常に同じ状況(場面)でのプレーはありません。したがって、試合では、色々な場面において、自らが「適切な判断(=自ら考え判断する)」をしながらプレーを成功させていかなければならないスポーツです。
「素早く適切な状況判断」を行うには、より多くの実戦(実戦に近い)場面を経験すること以外に養うことはできないのです。これまでの日本サッカーは、技術を細分化し、一つひとつの技術を年代ごとに積み重ねるという練習を行ってきました。
結果、技術を細切れにし、段階分けをして、順序よく行ってきた技術練習は、いざ試合となったときに、統合されず、対戦相手や味方の位置、試合環境などあらゆる場面の違いによりそのポテンシャルを発揮できなかったのです。
LIV.FCでは、常に状況判断を伴うトレーニング(実戦もしくは実戦に近い場面の形成)を行うとともに、サッカー全体の動き(=チーム全体の動き)をバランス良く並行してトレーニングしていきます。
また、低学年より『LIVスタイル』(=パスと人の連動)を実践させていきます。
これは、日本ではタブーとされてきた低学年からの「戦術」指導(「戦術」という言葉はあまり適さないとLIVでは考えています)と言うことができますが、サッカーはそもそもチームスポーツです。チームとして点を取りに行くには、「試合でのチームの動き方の理解」「試合での個々の役割の理解」が必要です。「戦術」というと、「型にはめて、まるでコーチのロボット」というチームが見受けられますし、そのような指導は個性を潰していると言われます。それはこの意味を間違って捉えた指導によるものなのです。
チームとして動く「動き方=攻撃の仕方、守備の仕方、味方の使い方、スペースの使い方」を理解して行うサッカーと、個々のテクニック修練の積み重ねで行うサッカーはどちらが楽しく・実戦的でしょうか。
きっと、お互いの動きを理解し、チームとして連動し、お互いを信じながら力を結集して行うサッカーのほうが、選手にとっても達成感があり、みんなで創りあげた点という意味のあるものになるはずなのです。だから子どもたちもサッカーをやっていて楽しいのです。
たとえ試合に勝てなくても、「何が悪かったのか」という課題が明確(原因が個々のテクニックの未熟さにならない)です。