2020/04/17

by 『テニスと私』 児玉編

紙のメッセージが白トビしている、、「いつかできる」と書いてあります。

こんにちは みなさま。

お元気にお過ごしでいらっしゃいますか?

家での筋トレをがんばりすぎて、腰を痛めてしまった フロント児玉維賢です。

なにごとにも適量がありますので、みなさまもご注意を…。

 

さて、今回はわたくし児玉から『テニスと私』をお届けいたします。

長文です。

 

児玉はとくにスポーツができるほうではなく、体育の成績は5段階評価で2をとるなどしていました。

それでも球技はすきで、小学校5年生ごろからは漫画「SLAM DUNK」の影響でバスケットにはまり、

校庭開放などで日々友人と興じていました。

中学ではバスケット部に入ったものの、公式戦で一度も勝利をしないという弱小チームのなかで、

試合には一部の時間しか出ていない程度。

身長は中学を卒業するまで今よりマイナス20㎝くらいのものでしたし、

高校では家族もやっているテニスを始めようかな、となんとなく思っていました。

 

といったなんとなくで入った高校のテニス部が、もはや軍隊なのではというレベルの厳しさ。

選手を集めたりしている高校ではなかったのですが、毎年エース格は都大会の本戦に出るなど、

それなりに成績を残しているかんじでした。

まあ、とにもかくにも辛いし厳しいし理不尽だし(笑)、どうして辞めなかったんだろうといまでも考えます。

それに対する答えは3つ。

テニスそのものが楽しかった、仲間がいた、二年生に上がるころには「ここまできて辞めるか」という意地を張った。

ということですね。

 

さて前述のとおりさして運動神経のよくないわたしは、そこでもレギュラーになれず。

引退試合はコート外から応援しつつ見守ります。

もちろんレギュラーになりたかったですし、悔しい思いもしました。

しかし、当時のじぶんにはスキル面でもメンタル面でも、無理だったとおもいます。

児玉が高校でのテニスを通して学んだのは、「苦しい中でも楽しみを見つけられる」「望んだ結果(この場合はレギュラー)を得られずとも、受け入れなくてはならないことはある」「その過程次第で一定の充実感は得られる」ということ。

そして不思議と、木田コーチとおなじく引退をしたあとにテニスの実力が伸びるということを経験しました。

なんででしょうね。

 

大学ではサークルに入り、一年生から大学の選抜(所謂オールと呼ばれるもの)に入ったりと、とつぜんテニスできるキャラに。

その経験は、じぶんに自信を与えてくれました。

自分を信じると書いて自信、とはよくいったもの。

振り返れば高校では自信がなかったのでしょうし、それがプレーにも影響したのでしょう。

また、自信とはあくまで周りからではなく、じぶんで獲得すべきであるということが解りました。

長い試合に勝利したり、格上といわれるような相手に勝利したりすると、じぶんのプレーを信じられるようになります。

負けから得るものもありますが、わたしは勝利から得るもののほうが大きいとおもっています(どちらも顧みる前提で)。

 

サークルではじぶんの代になったころに会長になり、テニスに遊びに大忙しです(笑)。

高校のころは、みんな一生懸命にテニスの上達を目的にしていましたが、サークルは初心者がいるのはもちろん、目的は十人十色。

とうぜんのことながら、「世の中はいろいろな人がいる」ということを学びました。

地方からきている友人との交流や、幅広い先輩後輩との交流も、見聞が広がったり、好奇心が広がるきっかけになりました。

 

そして、テニスショップでのアルバイトの経験は人生に決定的な影響を与えました。

テニスの楽しみ方が完全に変わりました。

ストリングを鼻血がでるまで張り続けたり、グッズ販売を通してテニスライフを支えたり。

じぶんがプレーする以外にもテニスをたのしむ方法が増えたわけです。

気がつけば大学そっちのけでアルバイトを。

それが高じて当社に新卒で入社するわけですが…。

両親にはほんとうに申し訳ないことをしました 留年までしました。

教員免許を取ると見栄を切っておいて、それは果たしませんでした。

 

大学では、「じぶんで自信を獲得することの重要性」「世の中にはいろいろな人がいる」「じぶんがプレーする以外にも、テニスの楽しみはある」ということを学びました。

あ、それと「嫌なことにも向き合わないと、なりたいじぶんにはなれない」ということも。

 

このように振り返ると、テニスを通して人間形成されてきたんだなあとあらためて感じています。

高校時代から、ずっとテニスはじぶんの人生の伴走者のように、常に近くにありました。

テニスを通しておおくの人で出会ってきましたし、社会人になったらこれまで以上にたくさんの人に出会って、

そのひとつひとつが基本的には「テニス」というおおきな共通言語の元であります。

いまこうして、横浜校で仕事をしていることに心から感謝しています。

きっと、この文章に書いたことがひとつでも欠けていれば、わたしはここにいないでしょう。

 

いまはテニスができず、こちらをご覧いただいているみなさまも辛い思いをされていらっしゃることと存じます。

わたしどもも同じく、テニスのない日々は苦しいところです。

休業期間が明けて、また思い切りテニスをたのしめる日々を想像して、じぶんたちのできることをやってまいりますので、

共に安全に健康にこの時期を乗り越え、テニスコートでお会いしましょう。

その日をたのしみにしております。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

今日の一枚:海